青山学院大学 全学部 2020年 国語 解答 解説

問1③ 2⑤ 3② 4⑤ 5② 6⑤ 7③ 8① 9⑤ 10② 11④ 12③

桑田禮彰『議論と翻訳』より

 文学部では翻訳の言語論は頻出のテーマの一つ。早稲田大学、東京大学での出題もありました。翻訳自体が「文学」と呼べるのか、翻訳者の意識の持ち方等、軸に据えられる部分は多いですね。

 この問題では、丸山真男さんと、三木清さん(どちらも著名な思想家)の翻訳をめぐる考え方を通して、筆者なりの止揚を見せています。全体を通してみると、翻訳って良いよね、と言いたい気持ちが伝わってきます。

 一般論としては、翻訳は「外国の思想を日本語に直訳することで、そのまま伝えるもの」ですが、この文章においては、三木清さんの「翻訳した時点で、日本の文化になってるよ」という説と、丸山真男さんの「翻訳するときは、日本文化のと違いを確認しないとね」という説を二つあげています。そしてこの2つは、日本文化を見るか、異文化を見るかで対立しているように見える、とも述べていますが、実際には、そのどちらも必要と言って終わっています。

問1: 原典至上主義の解説なので、原典は持ち上げて、翻訳は下げている選択肢を選ぶ。

問2: 原典を翻訳すると、異文化が自国文化として「分かる」ようになる。気づく感覚の強い「認識」や、そのまま送る「伝達」より、文中でも何度か書かれている「咀嚼」の方がはまる。「解釈」は一番近いが、「咀嚼」した異国文化を自国文化として「解釈」するという感覚。

問3: 丸山さんの説では、異文化と自分化の違いを認識せよとのことでした。

問4: 問2に近いですが、「外国の文化を解釈し、自国文化にする」に近いものを選びます。

問5: 指示語の「このとき」が、「意味の転化」を指しています。後ろの、「翻訳の重要な意味」が表すのも、「意味の転化」より、「我々のものとして発展することの出来る一般的な基礎が与えられる」の方が良いですね。

問6: 「解放」という言葉から「支配」を選びたくなるのを堪えましょう。翻訳は重要な役割を担っているということを言いたいわけです。つまり、ただ、原典をうつしただけではなく、原典の下にあるものではない、ということを言いたい。

問7: これはそのまま、文明の歴史における、翻訳の役割を考えようということ

問8: これは、中国の古典を「漢文」という形で書き下し文にして読む行為を指している。

問9: 後ろの「逆説」がヒントになっています。「異文化と日本文化が違うことを理解する」(そのまま理解することは出来ないということが分かる)と、「逆説的に」「異文化の元の姿が分かる」という意味のオリジナルですね。

問10: 荻生徂徠がやったことは、中国の古典と、日本の文化の違いを認識したこと。それによって、「異文化を認識することが翻訳において重要」という思想性が本居宣長の思想の基礎に伝わった。と考える。④は近く見えるが、同化してはいけません。徂徠が越えたのは、異質性ではなく、同質性です。

問11: 徂徠は「中国古典と日本文化の違い」、宣長は「日本古典と当代日本」の違いを翻訳の際に見出した。

問12: 最後の段落に、「原典を咀嚼し日本文化のコンテキストに組み入れよう」と書いてあるので、「自文化を咀嚼して異文化のコンテキストに組み込む」は逆ですね。

大問2

井村俊義 『チカーノとは何か――境界線の詩学』より

 筆者の経験から、一人の日本人、メキシコ人の出会いと、グローバリゼーションの持つ意味を考えています。これまでの近代的なグローバリゼーションは、西欧の先進国が少数派を駆逐していく一方的なものでした。ここにおいて、国家としての境界線は、内部と外部を分け、自国、他国という領域を生み出すものです。

 しかし、広義のグローバリゼーションにおいては、人々の持つ様々なバックグラウンドが混在し、言語や文化では分けられない今までに見えなかった境界線を浮き彫りにすることになります。冒頭の日本人、メキシコ人の出会いは、このグローバリゼーションがもたらした、内外を排除しない境界線の縁によるところだという結論を導きました。

問1 ⑤ 問2 ③ 問3 ④ 問4 ④ 問5 ③ 問6 ① 問7 ② 問8 ① 問9 ⑤ 問10 ② 問11 ② 問12 ②

問2: 経済、軍事、科学的な視点ではなく、文化の話

問3: 物理的境界の話ではない。⑤は個人間での話。今扱っているのは、集団。

問4: ここでいうグローバリゼーションは、少数派が世界に打って出ることではなく、西欧の近代化された規格が、少数派を駆逐しようとする一方的なもの。

問5: 「狭義のグローバリゼーション」は、問4と同じもの。西洋・非西洋の再編も同じこと。

問6: 自国中心主義は、自国がなければ存在し得ません。

問8: 言語や文化が境界を作っているのであれば、例えば言語を統一すれば、境界はなくなるはずですが、筆者はそこに今まで見えなかった境界があらわれる、と述べています。

問9: 具体的な規制のある無しではなく、特権階級からの一方的なものでるかどうかが問われています。

問10: 思いがけないところで、偶然に違うバックグラウンドをもつ者たちが結びつく例。もっと言えば、これまでの地理的、物理的境界では成されなかったものを選びましょう。

問11: 「グローバリゼーションの副産物としての出会い」が表すものが、問10のように、違うバックグラウンドを持つ者を結びつけた考え方、につながります。

問12: 境界線は消滅していません。

大問3

問1 ② 問2 ③ 問3 ① 問4 ⑤ 問5 ① 問6 ④ 問7 ③ 問8 ② 問9 ④ 問10 ⑤

訳文:

「恋ひ恋ひて 人にことごと 恋死なば もえんけぶりは 恋の香りやせん」

 この歌は、古今和歌六帖にある。白毫式という書物の記述によると、昔、天竺に術婆迦という童子がいた。その母は長年皇后にお仕えしていた。この童子、思いがけず后を拝見したときから、どうにかしてと思う心になり、人知れず眠れず、痩せていった。母は不審に思って聞くが、言わずに物思いにふける様子があきらかである。母が、「どうして私にかくすのだ」と責めると、ありのままに答えた。母が思いを巡らせて、「川のほとりに言って、魚を釣って毎日来なさい。私が取り次いで、后に献上しよう」と伝える。このため、毎日鯉を釣って、来たところ、母がこの鯉を后に献上することが三年になった。后は、心ざしが深いことに心を打たれて、ある時、お聞きになる。「どうしてこんなことをするのだ」と。母は恐れ入りながら、この童子の思っていることを申し上げる。天竺のならいとして、心に思い、言葉にしたことは裏切らないので、逢瀬を得られる縁を契りなさった。ちょうど良いタイミングが難しかったので、策を凝らしておっしゃることに、「術婆迦、まず自在天神に参拝し、宝殿の中に隠れていなさい。参って、逢いましょう。」と約束して、行幸して、自在天神の宝殿に御輿を寄せて、一夜を過ごしなさった。人が静まり、夜が更けて、后は術婆迦がいる所にいらっしゃったが、寝入っていて気づかない。証として玉のかんざしを一筋おいて、輿のもとへ帰りなさった。またいらっしゃったが、目を覚まさない。証として再びかんざしを一筋おいて帰りなさった。母が術婆迦に聞くと、「寝入っていて覚えていない。ただ玉のかんざしばかりがあった」と答える。母が「こうなってはもうどうしようもない。」と言うのを聞いて、術婆迦の胸から火がでてきて、燃えて煙になって死んでしまったということだ。この、鯉を釣って思いを通したエピソードから、「恋」というのである。

注意事項:細心の注意を払って作成していますが、「模範解答」ではありません。あくまで個人の主観によるために、誤答の可能性があります。参考にする際には、解説の論理を信じられるかどうかでお決めください。このページ内の文章は合同会社ET1 Night Owl並びに武蔵小金井雨鶏塾に属し、無断転載は禁じます。

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